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プロダクトデザイナーのデザイン思考ノート

省エネのパラドックス

省エネは従来、「お財布にやさしい」という単純明快でわかりやすい論理だったはずですが、近年の環境意識の高まりにより「CO2排出量削減」という壮大な大義名分を得ました。

両者のウエイトは時代の流れとともに、少なくとも表面上は完全に逆転していると言えます。

TV番組を見ていても、例えば店舗の照明をLEDに変更することで省エネを進め、CO2削減に貢献しているアピールがよく見られますが、あれはミクロな視点で見た省コスト化を達成しているに過ぎません。

省エネはCO2削減に直感的には「効果がありそう」なので、企業にとっては省コスト化に加えて企業のイメージアップというおまけがついてくる、いわばおいしい取り組みです(開発側に苦労があることは重々承知)。

省コスト化に過ぎないと書いたのは、本当の省エネに関して需要家側、つまりエネルギーの受け取り側の個別の取り組みではどうしようもない部分が多いように感じているからです。

これからその理由を詳しく述べます。

まず、個人の省エネ活動でできることを大まかに二つに分けてみました。

ひとつが、我慢する省エネ

そしてもうひとつが、エネルギー効率を上げることにより達成する省エネです。

順に見ていきます。

  • 我慢する省エネ

まず、我慢する省エネ。

これは例えば「暑いのを我慢してエアコンを切る」といった行動です。

これは、「お金がないので節約する」といった動機なら素直でわかりやすいですが、環境のためという理由で社会全体に強要するのは不可能でしょう。

「エコだ」といって我慢することで精神的満足が得られるのは既に豊かな生活を享受している人間に限られます。

A.H.マズローが欲求五段階説で論じたように、高次の欲求を抱くためには少なくとも一度、低次の欲求が満たされていなければなりません。

我慢するエコはマズローの言う高次の欲求にあたると考えています。

生理的に満たされていなかったり、それが満たされていても社会的に不安定な状況におかれている人間には、地球のことを考える余裕などないはずです。

過剰な自然帰化や我慢を周囲に押し付ける行為は豊かな人間のエゴであり、道楽でしかありません。

これは豊かな人々が各自ひっそりと楽しむのがよいと思います。

エネルギー消費を我慢して抑えることをおおっぴらに薦められないのは、現在の社会規範で考えた「豊かさ」がエネルギー消費と密接な関係があるからです。

実質GDPの伸びは電気の需要と比例関係にあり、少なくともこれまではエネルギー消費の増大が経済的発展をもたらしてきました。

エネルギー消費の減少はそのままマイナス成長となる懸念があります。

この点で、我慢する省エネは現在の社会規範においては社会の進歩とは言い難く、現実的ではありません。

  • エネルギー効率を高めることによる省エネ

では次に、エネルギー効率を高めることによる省エネですが、これも期待できません。

需要家単位では効果がありそうですが、マクロな視点で見た場合、エネルギー効率が上がるとその価格は低下し、それに伴いエネルギー需要は増大、結果的にエネルギー消費は増えます。

悲しいですが、社会全体のエネルギー効率「だけ」が高まるならば、CO2排出量は削減どころか増加します。

エネルギー効率を高めることの目的設定は、省エネではなく効率的なエネルギー使用による経済発展と言った方が的確だろうと考えています。

  • 理想的な手段は何か

経済発展を促進するにはエネルギー消費量は増えなければならないので、CO2削減と両立したいのであれば、結局のところ環境へのインパクトが小さい原子力発電をベースとし、脱化石燃料(特に石油)を推進する他ないと思います。

極論というか理想論、仮にすべてのエネルギー需要をクリーンエネルギーのみでカバーできたならば、エネルギーをどれだけ使用してもCO2排出量や資源の枯渇という点では何の問題もないはずです。

太陽光や風力は発電効率と必要な土地の観点からこれらをベース電源とするのはありえない話だと思いますが。

現実的には、電力需要は季節により異なることや一日単位で見ても大幅な増減があることから、確実に必要となる分の需要を原子力発電で担い、変動部分に対応するエネルギーは環境へのインパクトとコスト面から考慮するのが妥当なところです。

原子力発電は、そう簡単に発電したり止めたりといったことが出来ないため(発電開始まで2日程度)、需要の変動部分への対応は困難なので別の手段を考えなければなりません。

ちなみに火力発電は2〜3時間程度で発電可能、水力発電に至っては数分で最大出力にすることが可能です。

どうしても需要の変動部分を化石燃料に頼らなければならないのであれば、需要の平準化(上下幅を極力小さくすること)は結構大きな鍵となると考えられます。

巷を騒がすスマートグリッドが実現すれば、発電所から見た需要変動幅は小さくなるのでは、と私は期待しています。

時間帯により異なる価格設定と、需要家同士の電力のやりとりが考えられるためです。

電気自動車(EV)を例にとります。

あるところにEVに乗っている会社員のAさんがいました。

Aさんは自分のEVを、需要が少なく価格も安い夜間電力で寝ている間にフルチャージします。

翌朝、そのEVで会社に出かけますが、自宅と会社の往復だけしか乗らないと考えれば、基本的にEVに必要な電力はその往復分しか必要ありません。

会社には電力網に接続された駐車場があることを前提にすると、夜間にフルチャージした安価な電力を、帰りに必要な電力を残して売ることができます。

もちろん、日中の需要が多く価格の高い時に売るわけですから、その価格差で利益を得ることができる、といったかたちです。

このような仕組みが実現すれば、発電所から見た見かけ上の電力需要は平準化すると考えられるというわけです。

  • 肝心なのは一次エネルギーが何かということ

話を少し戻して、エネルギー消費量の増加を自然なこととして受け入れてしまうならば、肝心なのは「一次エネルギーが何か」ということです。

燃料電池は水素を用いるのでクリーンだというイメージが先行しているように思いますが、水素は二次エネルギーなので、燃料電池のクリーン度は結局のところその水素をつくるために用いた一次エネルギーが「何であったか」に依存します。

電気も水素と同じ二次エネルギーなので、「水素だからクリーンだ!」というのは「電気だからクリーンだ!」と主張するのと同じことだと思います。

EVも同様に、「電気だからクリーンだ!」というのではなく、その電気がどうつくられたのかを考えなければ意味がないと思います。

CO2を道路上で排出するのか、発電所で排出するのかの違いにしかすぎません。

  • 脱石油社会

省エネを取り巻くさまざまな目的を整理し、あえて単純化するのであれば、「脱石油」にまとめることができると考えます。

地球温暖化には諸説あり、私にはまるで真実が見えませんが、たとえ地球が温暖化していようとしていまいと、温暖化の原因が人為的であろうとなかろうと、脱石油だけは目標として正しいと思います。

地球が温暖化していない場合、もしくは温暖化の原因がCO2でない場合は、CO2排出量削減はあまり意味のないものとなってしまう可能性がありますが、しかしそれでも、採掘可能地域が政治的に不安定で価格の変動が大きな国に偏っている石油から、世界各地で採掘可能で埋蔵量も抱負な石炭や天然ガスへシフトすることには価値があると思います。

また、石油に比較すれば石炭や天然ガスはクリーンだと言われています(石炭は液化して利用することで比較的クリーンに)。

長期的にはそれらへの依存も減らしていくことがいいのかなとも思いますが。

加えて、世界全体で脱石油化が進めば産油国の歪んだ産業構造の変化も促します。

詳細は長くなるので割愛しますが、たなぼた式に手に入る石油を売っていればお金が手に入る社会は不健全なものとなりがちで、言論の自由、報道の自由、政府の透明性、司法の独立や女性の地位向上といったこと全てが阻害されますし、豊富なオイルマネーはテロ活動の資金源でもあります(テロを悪とした場合)。

天然資源が抱負にあることが国の経済と政治に悪影響を及ぼす可能性は昔から指摘されています。

何もしないでお金だけは手にはいるのですから、活力は失われ、国内の産業が育つはずもないのです。

民主主義や自由主義の良し悪しは置いておくとして。

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グラフ、急に未来が来た!

2010 年 4 月 13 日 3:25 PM posted by jun

>>jun
やべっ、高次元 笑

2010 年 4 月 13 日 9:20 PM posted by shimano