電子化、そのむこうに—綾波レイの部屋に行っても楽しくない—
音楽を楽しむにはデータダウンロードが主流になりつつあり、管理はPCで行うようになっています。
書籍や雑誌に関しても、今はまだ音楽ほどではないにしろ、電子書籍の波は確実に加速していくものと思われます。
ゲームソフトも実態のないものになりつつあります。
ケータイ向けゲームやPCゲームはもとより、専用ハードのあるゲームもネットワークに接続されたことで、オンラインで購入できるようになりました。
コンテンツをパッケージ化して販売する形態をとっているものは、基本的に全て解体されて電子化/データ化され、コンテンツのみを供給するというやり方になっていくはずです。
勿論、アナログの良さを無視しているわけではありませんが、この流れは止められませんし、止めるべきものでもありません。
仮に反論するとして、アナログの良さとは何でしょうか?
「味わい」「深み」「暖かみ」といった曖昧なメリットでは、デジタルの利便性に太刀打ちできないと考えています。
これは、アナログを愛してやまなかったはずのDJ達がデジタルへと移行し、レコードにとって殆ど最後の市場が消失したことからの個人的反省と教訓です(DJのプレイスタイルにおけるイノベーション普及考参照)。
箱の中から取り出して再生するまでの、独特の「手続き」や「作法」といったところも趣味としては良いものでしたが、大きな流れに逆らうほどの力は持っていませんでした。
データ化されたコンテンツの「音質が悪い」「読みづらい」「扱いづらい」といった欠点は、当初は目立ちます。
それこそ、圧倒的な差があるようにすら思えます。
しかし、誰もが認識できるこの類の欠点は、デザインやエンジニアリングにより必ず克服されると信じています。
音楽も写真も書籍も、アナログの楽しみというのは最後に残された一握りのマニアの中だけで生き続けるのみだと考えます。
音楽も、書籍も雑誌も、ゲームも、コンテンツからパッケージが引き剥がされていくのは避けられません。
- コンテンツからパッケージが引き剥がされる時
それが10年後なのか20年後なのか、はたまた100年後なのかは分かりません。
しかしそうなった時のことを想像することはできます。
友人の家に遊びに行った時のことを思い出してください。
大人になってしまえば、トークだけで充分楽しめるものですが、10代だったらどうでしょうか。
特に男性。
友人の部屋で何をしていたでしょうか。
置いてあるCDや雑誌、マンガやゲームソフトを物色するのが普通だと思います。
大抵はそのどれかを手に取っていれば楽しめましたし、暇つぶしにもなったものです。
加えて、それらからはその人の趣味嗜好を読み取ることもできました。
パッケージにより「モノ」となっていたコンテンツは、自己表現手段であり、他人にとってはその人のことを理解するための大きなヒントでした。
10代の部屋から本や雑誌、マンガ、CD、ゲームソフトが消えたら何が残るのでしょう。
綾波レイの部屋に行っても、目のやり場もなく沈黙が続くつらい思いをするだけです。
- 未来の10代の遊び方はどうなっていくのか
実際のところは部屋からそれらが消え去っても、人間、その時の環境や状況にあわせて楽しむことぐらいいくらでも出来るはずですし、心配する必要はあまりないのかもしれません。
なるようになると言われればそれまでです。
80年代生まれの私は、生きていない時代のことはわかりませんが、マンガもCDもゲームも登場したのはここ最近のことに過ぎませんし、それらのない時代は、無いなら無いで別の楽しみ方があったはずです。
別のものが代替する可能性もあります。
「味気」なく思えますが、セカイカメラのようなAR(拡張現実)も個人やその人の部屋にフォーカスしたものが登場する可能性だってあります。
もしかしたら、何も無くても各自が自分の端末に向かっていれば暇はしないのかもしれません。
極端ですが、人の家に遊びに行くことがほとんど無くなることも考えられます。
とは言え、「CDもマンガも雑誌もゲームも目には見えない友人の部屋で、今以上にワクワクできる何か」は何なのかを考えてみる。
未来の10代の遊び方、想いを巡らせてみるのも悪くないと思いますがどうでしょうか。
| 2010年08月12日 | イノベーション思考, コラム | コメント&トラックバック(8)







コメント&トラックバック
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確かにそのとおりですね。
綾波レイの部屋に行っても楽しくはないですw
音楽も写真も本までもデジタル化してきています。
確かにすばらしいことですが、それを使用する人はというと、
いつまでたってもアナログですよね。
だからアナログであることに価値があるものは、
いつまでもアナログのままでいてほしい物です。
2010 年 9 月 12 日 3:46 PM posted by Lin
最後までアナログで残しておくものは、その人にとって価値のあるものなんでしょうね。
私自身、レコードは処分するのが忍びなくてずっととってあります。
CDは大好きなアーティスト一人残して、先日全て売ってしまいました・・
仮にデジタルが性能面では限りなくアナログに近づいたとき、アナログの残され方っていうのはコレクターズアイテムとしてのみなのかな、と最近思います。
2010 年 9 月 12 日 11:29 PM posted by shimano
「友達の部屋」自体は電子化されないんだろうか?
電子化された部屋にはきっと、
電子化された書籍の本棚にダウンロードされた音楽が並んでたりして、
(なんかインターネット上のウェブサイトやソーシャルネットワーキングサービスとかがそれかなぁ?)
その「電子化された部屋に遊びに行く」っていうのが
10代の友達の部屋に遊びに行くって言う感覚…だったりして。
したら 実際の フィジカルな 部屋 = 空間
の持つ意味はなんなんだろう…。
未来の10代のこたちにとっての「空間としての部屋」がどんな意義をもってくのかなぁ とか考えたりしました。
住宅産業…ハウスメーカーとかマンション経営とかは「暮らし」というコンテンツを一軒家なりマンションだったりに「パッケージ化」して販売する形態をとっている…って言ったらおかしい?
「暮らし」が全て解体されて電子化/データ化されることってありえるのかな?暮らしというコンテンツのみを供給するというやり方っていうと、映画のマトリックスの世界に入ってちゃうんだろうか。
でも人は「人に触りたい」生き物だと思うから
全部電子化された世界で電子化された部屋に遊びにいくだけじゃ
きっといつか満たされなくなるきがする。
電子化された綾波レイの部屋に行ったら、音楽のデータとかがそこにあるかもしれなくて
チャットみたいので会話もうまれるかもしれないけど。
そしたら、「重苦しい静かな事態」避けられるけど
でも…息づかいとか、温度とか、触れられるかもしれない可能性とか
はなくなっちゃうんだよね。
どうなの
とか、この「電子化その向こうに」の記事のおかげで
いろんなことに想像がふくらみました。
電子化されて行く世界の中で、リアルな空間のもつ意味なんかを
ものすごく考えさせられました。
どうもありがとさんです。
2010 年 9 月 12 日 11:45 PM posted by 真子
久しぶり!
そういうきっかけになるのが一番うれしいです。
>>「友達の部屋」自体は電子化されないんだろうか?
アバターに惜しみなくお金使う人たちはいるし、アバターの部屋とかインテリアアイテムなんかも色々提供されてるから、現時点でそういう流れになってきてるみたい。
そこにAmazonのリストとかブクログみたいなサービス、はてなブックマークとかmyspaceとか色んなものが連携しだしたらさらに強力だね。
>>「暮らし」が全て解体されて電子化/データ化されることってありえるのかな?
これは考えてみたくなるテーマだなあ。
なるほどー、建築的視点でぶっとぶところまでぶっとぶとそうなるんだね。
面白くなってきた!
たしかに極端なところまで考えていくとマトリックスの世界が連想されても不思議じゃないかも。
そこまで行くと、ずっと寝てて栄養さえあればいいんだもんねえ。
そうなってくると哲学者が格闘してきた悩みにまでいっちゃいそうだ・・・
2010 年 9 月 13 日 12:42 AM posted by shimano
>建築的視点でぶっとぶところまでぶっとぶとそうなるんだね。
はは。すぐ思考と話をぶっとばしちゃうのが私の困った癖で
だから
>そうなってくると哲学者が格闘してきた悩みにまでいっちゃいそうだ・・・
しまちゃんのいうとおりで、
実は、最近、哲学書を読み漁りだしたのよ(笑)
適度なところでもどってこなくちゃ とは思ってるんだけど。
電子化/データ化の波ひとつとっても
いろんな方向に考え始めると面白いよねー
プロダクト?のところに話をもどすと
個人的には電子書籍化がはやく進んで欲しいなぁと思っています。
紙の本は大好きだけど、でも、それより、
「内容」をたくさん読みたくて。
海外に来てから殊更に、質のいいおもしろい日本語の文章が
まだまだ紙媒体の上とどまっていがちだなぁ、と実感中。
だからなかなか読めなくて…。
私は、電子書籍化が一日でも早く進んでくれるのを待ちわびている1人な気がします
2010 年 9 月 17 日 10:12 PM posted by 真子
読みたいと思ったらすぐ読めるようになるといいよね!
俺も待ちわびてます
2010 年 9 月 20 日 3:34 PM posted by shimano
はじめてコメントします。青木です。
たまに見させていただいてます。
すっごい綺麗で読みやすくて面白いね!さすが。
>「モノ」となっていたコンテンツは、自己表現手段
この考え方は80年代に無理矢理作り上げられたもので
所有物で作った個性は、その人の本質じゃないって
バレたのが、最近なのかなと。
ごはんをつくったり、身体を鍛えたり。
その人自体から切っても切り離せない所が
個性になるんじゃなかろうか。
つまりね、
もう消費は個性にならない。
ごはんでも、自分の身体でも、曲の演奏でも。
個人が積極的に「作り上げたもの」が
賞賛されていく感じ。
だから、部屋の中は
モノが少なくてめっちゃくちゃシンプルだけど
美味しい野菜が育ってたり、
調理器具や器がきれいにあったり。
ランニングシューズと自転車があったり
楽器があったり。
になって行くといいよねー、と個人的に思ってます。
2010 年 9 月 23 日 3:11 PM posted by aoki_designco
青木さん!
コメントありがとうございます。
>つまりね、もう消費は個性にならない。
ごはんでも、自分の身体でも、曲の演奏でも。
個人が積極的に「作り上げたもの」が
賞賛されていく感じ。
妙に納得してしまいました。
一方でアバターに投資する流れがあるのは、嘘であっても簡単に理想がかなうからなんでしょうかね。
やりきって最後に残るのが充実感なのか虚無感なのか。
そういう認識が世の中で共有されるまでにはもう少し時間が必要なように思いますが、そういう過程を経てやがて気づいていくものなのかもしれないと感じました。
2010 年 9 月 25 日 7:47 PM posted by shimano