ヤンキー性のデザイン、ファンシー性のデザイン
日本では、マスを対象にしたプロダクトはヤンキー性とファンシー性から逃れられないのかもしれない。
ヤンキー文化論序説という本をきっかけに色々調べるうち、そう思うようになりました。
仮に逃れることは可能だとしても、そういう見方で日本の製品を見ると意外に面白いんです。
根本敬は「世の中の9割はヤンキーとファンシーで出来ている。」と指摘していたそうで、ナンシー関は「日本人の三大気質はヤンキー、ミーハー、オタク」だと言う持論を持っていました。
どちらも根拠は経験的なものでしかないでしょうが、妙に納得できる部分があります。
- ヤンキーとファンシー
考えてみると、日本のヤンキーとファンシーの親和性は異常に高いことに気がつきます。
都築響一氏は本書の中でこう言っていました。
日本のヤンキー文化で面白いのは—ここが欧米のハードコアなんかと違う点だと思うんですが—、硬派と言ってるんだけど、どこか女の子っぽい側面があるんですよね、かわいらしいものが好きなんです。
単車を改造するのにキャラクターの絵を使ってみたり、女物のサンダルを履いてみたり。
かわいいイメージがちょこちょこ入ってくるわけです。
そういうなんとも言えない曖昧さが面白いですよね。
キティちゃんをはじめとするサンリオのキャラクター、ミッキーやプーさんなんかのディズニーキャラクターのファンシー性はもはやヤンキー性の一部と化している気すらします。
車内で煌めくブラックライト、ダッシュボードに飾られたハイビスカスのレイ、車外にまではっきり聞こえるBGM、フォグマシーンさながらのタバコの煙。
かわいいキャラクター達が加われば、近所で見れるエレクトリカルパレード!
蛇行運転なら完璧です。
まあ、ないでしょうけどね。
ここまででは、ヤンキー性=不良といった枠から抜け出していませんが、本書で指摘されているヤンキー性は不良文化そのものではありません。
あくまでヤンキー独特の「趣味」あるいは「美意識」のことをヤンキー性としています。
このヤンキー性は、非ヤンキーである普通の人でも、程度の差こそあれ秘めているものです。
巻末に収録されているナンシー関のコラムにはこうあります。
私には「世の中には”銀蝿的なもの”に対する需要が、常に一定してあり、そしてその一定量は驚くほど多い」という持論がある。
(中略) 有意識・無意識に関わらず「銀蝿的なもの」に心の安らぎを覚える人は、老若男女の区別なく人口の5割を占めると私は見ている。
ヤンキー性剥き出しのドラマや映画、マンガのヒットは当然ながら、安室奈美恵、PUFFY、モーニング娘。、浜崎あゆみ、倖田來未、EXILEなどが時代を象徴するほどの人気を得てきたことから、充分頷けます。
本書の中でエッセイストの酒井順子氏は、横須賀出身で豪快かつ細かいことに拘らない小泉元首相のもつヤンキー性にも触れています。
- マスを対象にしたプロダクトのヤンキー性
主流市場(銀蝿的なものに惹かれる人々の市場/人口の5割を占める)で製品が受け入れられるにはヤンキー性やファンシー性が欠かせないとするならば、マスを顧客とする大企業は製品にそれらを内包させざるを得ないということになります。
株価を維持するには成長し続ける必要があるため、売上10億の会社が10%成長するには翌年1億増やせばいいですが、1兆円の会社は1000億円増やさねばなりません。
1000億円増やすにはヤンキー性やファンシー性を欠いたスタイリッシュで小さな市場に攻めこんでも割に合わないと感じるのが普通です。
主流市場のメーカー製品と、小さな市場の「デザイン家電」の違いの一つは、おそらくそこにあるのだろうという気がしています。
「デザイン家電」は、どこかクリーンルーム感が強く、PUFFYにも、モー娘。にも、浜崎にも、倖田來未にもなれない。
どちらかと言えば、自分たちが信じる音楽を純粋に発信しつづける自費制作アーティスト、あるいはインディーレーベルのアーティストに近い。
なので、人は選びますが、その分熱烈に支持してくれるファン層は一定数いるのだと感じます。
国内メーカーでコンシューマー製品を最も手広くやっているのがパナソニックだと思いますが、そこを主戦場とするが故に、ヤンキー&ファンシー成分とスタイリッシュ成分の匙加減とまとめ方が絶妙に上手い体質が出来上がるのかと思います。
2009年度、アラサー向け家電のNIGHT COLORシリーズは当初の計画の2.2倍を売り上げ、好調のようです。
ギラッとした雰囲気に加え、遠目には黒でも近づいてみると柄が見える「コモンブラック」カラー。
洒落た大人の顕在的モダン嗜好と潜在的ヤンキー嗜好に見事に訴えかけるものがあると思います。
SANYOについては、ブランド消滅という残念な結果になってしまいました。
デザイン面では、私自身いいなと思う製品が沢山あったのですが、いかんせんヤンキー成分の少ないデザインだったことがひょっとすると・・・なんて思ってしまいます。
ちなみに、Franc Francのような店に置いてある「デザイン家電的」製品群は、ギラつきこそないものの、ビビッドなピンクや黄緑といったカラーリングと独特な「かわいい」かたちで、確実にファンシー性をまとっていると思います。
- ヤンキー性の美意識
デザイナー受けは悪いけれど消費者受けのよいもの、デザイナー受けは良いけれど消費者受けの悪いものがあります。
そのギャップこそがヤンキー性の美意識なのではないかと思うと、そのことが頭から離れません。
洗練されているものはデザイナー受けが良いけれど、どこか「もの足りなさ」を感じる人は多いのでしょう。
全体の調和よりも、各部の迫力を過剰なまでに引き出すことを優先する嗜好は、調和好きなデザイナーにとって禍々しいものに他ならず、無意識的に見て見ぬふりを強いることになっているように思います。
そこは、無駄な要素を削ぎ落していく思想の対極にある世界だからです。
存在感を消していくのではなく、過剰なまでの存在感が求められる世界だからです。
時代はシンプル志向であっても、秘めたるヤンキー性は、何よりもキラキラ感や密度感、(危うい)豪華さや迫力を最重要視しています。
かねてから、日本の美と言えば余白や調和や繊細な変化について語られてきました。
しかしどんな時代でも、ヤンキー性の強い知識人や文化人はマイノリティだと思います。
故に、テキストとしてアーカイブされてこなかったもう一つの美意識、それがヤンキー性の美意識だと言っても良いと思います。
実は「幕の内弁当の美学」とは、大衆的なヤンキー性の美意識と洗練された日本の美意識、その二つを衝突させずに昇華したものではないでしょうか。
最後に、引用で終わります。
「日本人の美意識を野放しにしておくと、結局は金閣寺ができてオシマイだなあ(松田融児氏)」







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